2013年02月06日

「京都メディアフォーラム(Phase II)」(第4回)を開催いたしました。

去る1月29日(火)、遊子庵にてラジオアナウンサーの水野晶子さんをゲストに迎えて、「京都メディアフォーラム(Phase II)」(第4回)が開催されました。

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今回は「番組はだれのもの ラジオジャーナリズムの現場から」というテーマで、関西のみならず全国的に知名度が高く人気もあったあったラジオ報道番組が打ち切られた出来事を取り上げて、現在の商業放送・マスコミが抱えている問題や、ゲストの水野さんが打ち切り時に投げかけられた「放送は、番組は誰のものなのか」という問題提起について議論が展開されました。

最初にゲストの水野さんのからお話をいただきましたが、昨秋の番組打ち切りのことのみに留まらず、水野さんご自身の放送キャリアを振り返るととともに、その過程でアナウンサーとして心がけられてきたこと、商業放送が抱えている問題にまで切り込む深い内容のお話となりました。

水野さんがアナウンサーとしての活動を始められたのは、まだ男女雇用機会均等法(1986年)がなかった時代のことです。放送の現場には女性は少なく、運良く放送に携わることができたとしても契約社員に留めおかれる状況だったと言います。正社員化は望むべくもなく、結婚等をきっかけに契約が打ち切られる、そんなことが当たり前だったようです。

女性が放送でキャリアを築くことがそもそも存在しなかったところに、アナウンサーとしてのキャリアを打ち立てることは困難な連続だったそうで、男女雇用機会均等法の施行後も、施行以後に入社する社員の待遇は正規雇用化されたものの、それ以前に在籍していた女性社員は以前のまま契約社員の待遇が続くままだったといいます。そんな中、水野さんは女性社員の正規雇用化を求めるべく、組合活動を始められることになります。

そんな水野さんが放送のキャリアの中でたどり着いたのが、現在の活躍の場でもあるラジオ報道でした。このラジオ報道の分野で、水野さんはリスナーから大きな支持を集めていくことになります。水野さんを一躍有名にした番組の1つが、深夜に放送されていた映画紹介番組でした。20年ほど前に関西にいた方ならば、聞いていた方も多かったのではないでしょうか。ところがこの番組も、ある作品に番組内で厳しい評価が述べられたことをきっかけに、打ち切りに追い込まれてしまいます。

その後も水野さんラジオ報道で一貫して活躍を続けられていくわけですが、ラジオ報道に携わる中で「市民が知りたいことを知る番組」を自らのポリシーとして持たれるようになったそうで、それが結実したのが昨秋打ち切りになった報道番組でした。この番組は2011年の震災とそれにともなう原発事故をきっかけにして、放送エリアを越えて全国から大きな注目を集めることになります。

それにもかかわらず番組は打ち切られてしまったわけですが、水野さんは商業放送とラジオ報道とが難しい関係にあることを指摘します。商業放送は広告収入に依存しているわけですが、商業的な側面がコマーシャルとしてだけでなく、放送の中にまで浸透しているといいます。その代表例として水野さんがあげられたのが「生コマーシャル」(生放送の中でおこなわれるコマーシャル)の問題でした。パーソナリティに大きく依存し、どこに着地するかがわからないラジオ番組の性質、あるいは商品を売ることには貢献しないラジオ報道が商業放送からは敬遠されるとともに、商品を売る手段として変化させられていく渦中に多くの番組がさらされているわけです。

むろん、放送を継続している以上、商業的な部分を否定できませんし、コマーシャルの存在も否定することはできないでしょう。しかし、ラジオ報道という分野が果たしてなくなってしまっても良いのか、あるいは「市民が知りたいことを知る番組」というポリシーで始まった報道番組が大きな支持を受けたにもかかわらず打ち切られたように、「市民」の方を向くという役割を商業放送は放棄してしまっても構わないのか。今回の打ち切り騒動の中でいち早くリスナーによる支援組織が立ち上げられたように、番組を支援する仕組み作りが、1つの重要なキーポイントだったように思います。

「市民が知りたいことを知る番組」、水野さんご自身がというポリシーを体現している存在そのものなのかもしれません。その尽きることのない活力とこれまでの奮闘の成果をどう支えていくか、それが問われているように感じた2時間でした。

(藤墳智史)
posted by 京都メディアフォーラム at 22:27 | TrackBack(0) | 例会(Phase II) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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